• 2007.02.10 Saturday
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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル <2003年:米国>



名脚本であると思う。
その脚本を糞真面目な社会派ドラマ(テキサス州の死刑制度に疑問を投げかける)にするでもなく、個人的には非情に不謹慎だと感じるのだが、あくまでサスペンスとして仕上げたアラン・パーカーの器量に脱帽。
イギリス人だからこの問題にあまり肩入れし過ぎずサラッと(・・・でもないんだけど)描けたのかなぁ。


デビッド・ゲイル(ケヴィン・スペイシー)が堕ちていくキッカケとなる、女学生バーリン(ローナ・ミトラ)とのトイレ情事。
こんなんされたら、男はまず逃げられないやね。酒入ってる訳だし。
怖いわァ。
ホントに怖いわぁ、オンナって・・・(笑)

パンティ引き裂いてするファックも、ベルトリッチの『ラスト・タンゴ・イン・パリ』以来だったのでオジサン、少しめまいしてしまいました・・・(笑)
(一生懸命、行為に及んでる男の顔って見たくないよぅ。自分の事の様に照れるんですけど♪)

そんなデビッド元教授も自己の容疑の被害者であるコンスタンス(ローラ・リニー)の“死に至る病”にショックを受ける。
彼と彼女が庭先で静かに語り合うキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間までの経緯」が印象的だ。
人間が死を受け入れる為の段階。


怒り:死を受け入れざるをえない事に対しての怒り。
  ↓
取引:延命の手段としての神頼み等。
  ↓
抗鬱:病気進行による衰弱から来る無力感。うつ。
  ↓
受容

こんな重い話を会話として持ってきて、更には”直後の行為”の前戯にもしちゃうところがガクシャさんならではというか、さすがは哲学教授の書いた脚本である(笑)


情熱を傾けた職を失い、”最後の晩餐”で”パンケーキ”を求める程に愛していた息子と引き裂かれ、デビッドにしてもコンスタンスのような病に侵されていなくとも「死ぬ瞬間までの経緯」を辿る運命にあったと言える。

会えない息子。
レイプ魔のレッテルを貼られて、恥辱にまみれ生きながらえる事を良しとしない生き様・・・。
本来、この決意の独白シーンがあったのだけど、カットして正解です。


けいと・うぃんすれっと?・・じゃなくても良かったかなぁ、ビッツィー記者。
今よりも少し若いジョディ・フォスターなんかだとハマりだったのかもしれないけど、
囚人とガラス越しのやり取りってシチュエーションが“羊たちのアレ”と被るのでダメかな(笑)


謎を持ったキャラ達の不可解な行動に全ての辻褄を合わせるラスト。
正直言うと、読めなかった。
悔しい・・・。








イン・ザ・カット <2003年:米国>



ちょっと疲れてるニコール・キッドマンに見えなくも無いなと思ったら、
彼女は降板してプロデュースに回りメグ・ライアンが受けたのか・・・。

しかしこれのどこがエロくて衝撃的なのだろう?
気持ちがいいのか、嬉しいのか、イッてるのかイッてないのか全くわからん。
性交してる時のシーンって裸体(男女問わず)に目を見張るものがあるか、
又は情感の伝わるものでないとグッと来ないでしょう?

取り敢えず全裸で重なってるだけの画ヅラでは、
単なる"記号”としてのシーンでしかない。
だったらそれこそタイトルじゃないけどそんなシーン”カット”しちゃえばいいのに(笑)

と、まぁ別にこれが”メグ・ライアンが脱ぎました・・”的な宣伝がされてなければ、
そんなに腹も立たなかったんだけどね。
老醜を曝す・・・とまでは言い過ぎだけど、メグ・ライアンだってもうそんな歳だ。
老体に近くなると煽動的なエロシーンはできないのか?
なんて事は、実は全然無いワケで、
サマンサ・ラング監督の『ポエトリー、セックス』って作品でのケリー・マクギリスは、恐ろしい程の気合いと根性で”ろーしゅーエロス”している。
こ、これがあの『トップ・ガン』のヒロインだったひとなのかぁぁぁ!?
と、遠い目になる事間違いなしなのだ(笑)
全身整形でインチキボディを作り上げてまで美に固執しようとするなんちゃらムーアさんとか、気合の感じられない騎乗位でお茶を濁すメグさんとは魂のレベルが違うのである。

ある意味一番、衝撃だったのはDVDのオマケ特典のインタビューだ。
メグ・ライアン・・・本編に比べて200%可愛いんでやんの(笑)
女性にとってメイクと髪型ってホントに重大事項なんだなぁ・・・と、今更ながらに感心。



ブロンド・ライフ <2002年:米国>




ジャケ写と邦題からかなりセクシィなコメディを連想したりしたのだけれど、
実態は薄味な人生見つめ直しドラマ。
映像もストーリーもテンポ良く、暇潰しにサクッと観るには充分。
1千ン百円也を払って劇場で観るにはウ〜ンだが、ケーブルやらDVDやらビデオでの鑑賞ならフツーに楽しめるラジー賞主演女優賞ノミネート作品。

でもなぁ。
これ酷評多過ぎ(笑)

そんなにひどいか?
このブロンドが。
もう終盤近くなると全然、違和感は無くなってたんだがオレは・・・(笑)
マドンナの『マテリアル・ガール』のPVを観て真似ッこしている少女時代が85年っていうのも辻褄合ってる設定だし。
ブロンドにコンプレックスがあった子供が、後にその魅力に気付き人生を変えるきっかけになってるいいシーンなので、もうちょっと時間を割いても良かったと思うが、
この辺のオミットがライトなコメディとしては丁度いいのだろう。
これ以上やると作品のトーンは重くなっていた。


何かと「定義は?」と訊ねる主人公とピート(エドワード・バーンズ)の距離を縮めようとする駆け合いやら、女性同士で昔寝たクセに”表面上”ピートを悪く言ったりするラブコメのポイントにうんざりする自分がいたりするが(←きっと歳のせい♪)、2点ほど”男性として理解できる”部分はあった。

ひとつはピートが自分の人生観をレイニー(アンジェリーナ・ジョリー)に語り、
一夜を再び共にする仲になっても、結局はキャリアを選ぼうとする彼女にショックを受けるシーン。
解り合えてないじゃん!ただ合体しただけじゃん!みたいな(笑)
やっぱり男は夢見がちで女は現実的なのかねぇ・・・と、単純に人生の分岐点での選択の違い(?)を性差で考えてしまった。

こんな時、思うですよ。
「オンナって怖ぇー・・・」って。

そしてまたこれが秀逸というか、オレ的にはよくできてるエピソードだなぁと(誰も思ってくれないけど)思うのが、
メジャー・リーガーの婚約者カル(クリスチャン・ケイン)との別れ。
これねぇ・・・コイツ、なーんにも悪い事してないんですよ。
浮気するでもない、暴力を振るう訳でもない、酒、ドラッグに溺れるでもない。
でも、別れて当たり前なんだよね・・・。

女性主観で見れば、もう電話でのやり取りからその傾向は出てたりして結末は予想できるんだけど、
オレと結婚したいってヤツはごまんといるんだよ的な台詞を言っちゃうとか、
あきらかに(彼女のことを)”わかって”いない。”見て”いない。
つまりガキ。
流石に「これはいつもと違う」と感じて野球場に連れて行く感覚(笑)
少年同士の友情の修復じゃないんだから(笑)

・・・で、迎える別離。

男性(ガキの)主観で見れば「ナンで!?」の嵐。
このオンナ、自己チューちゃうんか?のオンパレード(笑)


憎しみあって別れるのではない男女の姿が描かれている。
この作品一番のリアリティに溢れるポイントでありましょう。


どっちかって言えばオレの人生、男性(ガキの)主観ですからやっぱり思うですよ。



「オンナって怖ぇー・・・」って(笑)





ALWAYS 三丁目の夕日 <2005年:日本>




掘北真希をバラエティで見て、なんて不快なコドモなんだろう(笑)と思っていたけれど、本作の星野六子がド直球にハマっておりました。
本当に掘北真希なのか!?と。
これを「言われた事を忠実にやるだけの役者」と見るか、「大女優の片鱗」と見るか。今後、楽しみではあります。
(『リターナー』といい、この監督さんはいつかピュアなローティーン少女の青春ものを撮ったらいいのではないかと思っているのですが)


堤真一の鈴木オートも、”こんな役だって軽くやっちゃうぜ”と幅を見せてくれてますし(ナンとなく宮迫に見えない事も無いが)
薬師丸ひろ子の奥さんもこのダンナのカミさんになる人としてはOKなキャラに仕上がってる。
ただ、小雪の上手い下手は別として場にそぐわないというか、
設定に馴染んでないというか・・・なんだろう?
『ラストサムライ』を観ても感じなかった違和感が。
解ろう解ろうとしてもどうしても”平成の未来から来てる”感じがして・・・って、それじゃ『リターナー』じゃんかよ(笑)
スタイルが良過ぎるのか?
下手なのか?
見せ方(演出)なのかもしれん・・・。


吉岡の日アカ主演男優賞はどうなんでしょ。
そんなもんなのかなぁ。


テーマパーク・ドラマ。
昭和30年代前半を”リアルに再現した”のではなく、
全編通して、クレヨンしんちゃんの『嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』に出てくるアレなのである。
『横浜ラーメン博物館』のアレなのである。


ピントは”そこ”に絞られている。



『仁義なき戦い』だって、同じ30年代だいっ! ←そういうハナシじゃないだろう(笑)




ドゥ・ザ・ライト・シング <1989年:米国>



ビートルズを聴いてもストーンズを聴いてもツェッペリンを聴いても何を聴いても衝撃を受けなかったオレ。
それは初めて聴く前に既に有名過ぎて、本番を聴く前にフレーズが頭の中に入っていたからなのかもしれない。

しかしパブリック・エナミーの『It Takes A Nation Of Millions To Hold Us Back』は違った。
2曲目に収録されている『Bring the Noise』・・・。
よく”鳥肌が立つ”という表現があるが、そういう一歩離れた感覚ではなく”ナンだ!?この曲は!?”という脅迫的な好奇心に駆られ、音に入り込みそうになるほどの衝撃を受けた。
何故だかわからないが、曲の最後までを全部聴いてこの曲がどうなっていくのか”確認”しないとダメだという気になったのだ。


”ファラカン”て誰?ナニしたヒト?
(そんな事、フツーに「勉強しなかった」邦人が知るかっての 笑)
”ジョン・ウェイン”て差別主義者なの!?マジ?


・・・で。
スラングもわからないような・・・極東の田舎青年が、
”知性あるラップ”とはクール・モー・ディーの事だと思っていた(爆笑)認識が音を立てて崩れていくのを自覚できたくらいなのだから、ブラックのブラックたる誇りを声高に叫びたかった監督が、本作の資金獲得に奔走する傍らチャック・Dに曲を頼みに行ったのは当然と言えば当然でしょう。
(記憶が確かであれば、撮影が終わってから選曲したのではなく準備段階でスパイク・リーは依頼している)

OPで別に主人公が未婚の母にしちゃったロージー・ペレスのダンスが見せたかった訳ではないだろう。
・・・いや、この映画でデビューさせたんだから見せたかったってのはあるんだろうが、メインはバックに流れているPEの『Fight the Power』のライムだ。

もう今となっては過去のものとなってしまったが、
この繰り出すブローのような瞬発力のあるスタイルが、煽動的なストーリーによく似合う。

この作品がスパイク・リーの最高傑作だとは思うが、公開当初ほどの衝撃度は無い。
作品のどこかに注意しなければならない”鮮度”があったのか。
はたまた単純にオレ個人が見過ぎて飽きちゃっただけなのか・・・。
作品を牽引している『Fight the Power』が無くても成り立つとは今は思えない。


主人公ムーキーに監督、スパイク・リー自身。
DJラブ・ダディにサミュエル・L・ジャクソン(何でも演るヒトなんだなぁ・・この人)
他にダニー・アイエロ、ジョン・タトゥーロ(この人も何でも演れるなぁ)、マーティン・ローレンスと何気に豪華(?)


監督は後にマーチン・ルーサー・キングではなく、マルコムXの映画を撮る。
ヒット・チャートにブラック・ミュージックが踊る時代になったとはいえ、差別は無くなっていない。
「自衛の為の暴力は”知性”」なのではないのか?

ならばやる事はまだまだ残っていよう。


黄色人種の国で目薬のCMに出る事と、この作品で言わんとしている事に猛烈な違和感を感じるのはオレだけなんだろうか。


(バカなのかなぁ・・・オレ・・・)



頭上の敵機 <1949年:米国>



「中間管理職の方、必見!」なんて書くとベタか・・・(笑)
でも”リーダー”たるポジションにいる人が観ると、絶対自分の環境と比較してしまう作品だと思う。


似たような邦題に『眼下の敵』ってのがあったけど、
あれが駆逐艦と潜水艦の指揮官同士のスポーツ試合のような駆け引きを描いている(笑)のに対し、(でも面白いんだよなぁ。ロバート・ミッチャムは勿論、クルト・ユルゲンスのあの渋さがこれまた♪)グレゴリー・ペック演じるサベージ准将が、問題のある918爆撃隊を立て直す為に孤軍奮闘する様が良い。

准将でありながら自ら機に乗り込んで爆撃に向かう姿勢はまさに英雄なのだが、
もう一歩のところで・・・。

B-17での危険な白昼爆撃ってのは『メンフィス・ベル』と同じだけれど、
あくまでサベージ准将を中心に描いている分、話の散らかり方が無い。


指揮官というのは難しい。

部下の功績にはどう応えるのか。
どうやる気を引き出していくのか。
組織を変えるにはどうしたらいいのか。
またその組織の”どこ”を狙うべきなのか。

冒頭、サベージの前任であるダヴェンポート大佐(ゲイリー・メリル)が解任されるが、観ているこちらにも優秀としか思えない彼の何が悪かったのかが明確になっていくにつれ、時には非情さ冷徹さを持ち合わせていなければなないという部分が見えてくる。
そして、その非情化した自分にどう向き合うべきなのかも重要だ。
(”念の為”にサベージの後任を抑える上官プリチャード大将が印象的)


クライマックスの戦闘シーンはアメリカとドイツの軍が撮影した実写映像。
人が死んでいる(かもしんない)瞬間の記録。

そんなラストに取ってつけたような感動シーンも無いところが良かったりなんかしちゃったりする。





ハンバーガー・ヒル <1987年:米国>



大音量でワーグナーの『ワルキューレの騎行』を流しながらヘリが飛んだり、敵の大群に追われながら両手を挙げて天を仰ぎながらスローモーションで倒れる男とか、
狂ったデブが叫びながら銃を乱射して自殺、とかそういうのはナシ。
故に地味。
著名俳優もナシ(若きドン・チードルも出ているがやはり地味)
正直退屈だ。

オレ自身も劇場で観て以来だから、約20年近く頭の中で勝手にラストシーンを『ザ・デイ・アフター』の廃墟になった街のシーンと組み合わせて、
記憶にしちゃってて、アレ?この映画のラストってこんなに淡白だっけか?と思った。


しかし。
この時期数作られたベトナム物で、これほど兵士が可哀想な描かれ方をした作品もないだろう。
故郷からの手紙、テープにすがる気持ち。
娼館での遊びにも余裕などあるはずもなく、ベトナムの為に戦いに来て実はベトナムそのものからも搾取されているという構図。

仲間が減って湧き上がる当然の感情も、進むしかない命令の為に押し殺す。


「計画」とはいつも安全で簡単だ。
それが軍隊の「作戦」であっても、企業の「プロジェクト」であっても同じ。
遂行していく内に「計画」のほころびが表れ、事態を悪化させていく。
そして一旦、走り始めたらほころびが見えたところで、
体制を立て直す為に中止・・・とはならない。
(『プライベート・ライアン』ではOPの上陸戦で、直前に装甲車が沈んでしまうシーン。本作でも937高地攻略中に友軍のヘリが自分たち地上の兵士に向けて機銃を誤射する場面がある)

支持されない戦いに身を起き、否定する事もできずただ頂上攻略を目指す・・・。

安全な所から来た取材クルーに吐く本音。
丘を落とせない隊に、攻撃が手ぬるいと評価する上層部。
生き残って本国に帰っても居場所の無い現実。
そして、再び戦地に戻る男。


戦争映画として、ある種の核心を突きまくっている作品であると同時に、
全ての戦う男ならば”身に覚えのある”ストーリー展開ではないかと思う。

地味で淡々とした造りが残念だが、
フランツ軍曹役のディラン・マクダーモット、ドック役のコートニー・B・ヴァンスが良い。

特にこのコートニー演じる黒人ドックの生々しさ。
強烈である。









千年女優  <2001年:日本>



『パーフェクト・ブルー』は単純に面白かったし、これを作った連中ってもっと面白い事をやってくれるだろうな、って期待はあった。
結果は満足。
ちょっとした人物の仕草(これも演技という事になるんだろうけど)まで描き込まれていて、観ていて楽しい。

個人的には、この主人公の一途な恋(?)がキモいとかアブナイという感想が多くて意外だった。
そう思わないオレって、かなり人生修行が足らないのかしらん・・・(笑)



表舞台から姿を消した大女優、藤原千代子(折笠富美子/小山茉美/荘司美代子)が、
映像制作会社社長の立花源也(飯塚昭三/佐藤政道)の取材を受ける。
フツーなら『いつみ○も波乱○丈』チックに、
女優になる前の苦労話やら不幸話、そして最後に前向きな生き様!で終わるところが、
初恋である鍵の男(おっは〜!のヒト)の話ばかり。
そして出演作のどれもに鍵の男が絡む。

物語の舞台を千代子の出演作になぞらえて、
戦国時代、戦前の日本、満州、そして宇宙へ(なんでやねん!)
愛しい初恋の人、鍵男サンを追って千年の時を駆けるラブ・ストーリー・・・って。

確かにこんなに想いを貫き通されたら鍵男サンとしては、
男冥利に尽きるでしょう。
でも、始まった千年前は純愛でも、千年後の時代で肉欲を伴わない淡い恋が、果たして美しいと捉えられるのかどうか・・・。
当の鍵男サン自体、どう思うんでしょうかねぇ。
(オレだったら・・・やっぱ嬉しいかなぁ・・・)


率直な話。
今流行の”すぴりちゅある”な話だと思いました。

女優が延々と初恋を美化して語る話ではなく、
”輪廻転生”の話。


千代子は戦国の時代からずっと、何度生まれ変わっても想いを寄せる殿方と結ばれぬ運命。
源也もずっと千代子とは結ばれぬ運命。
脇役の女優はずっと脇役のまま。

この役割をみなが千年も”演じ続ける”という、ある意味での地獄。

平沢(『パワー・ホール』!)進の音楽がキモさに華を添えます(笑)



そんな地獄をあの物議を醸したラストのセリフが”救ってくれる”のだと思います。

『エターナル・サンシャイン』のラストと同じく、
「それでいいんだよ」って。





バルカン超特急 <1938年:英国>



このオチ!
前時代的というか恐らくはこの先の映画史上、こういうオチは許されないでしょう(笑)
そしてこの作品には"場を盛り上げる感情的なBGM"が殆ど無いという事に気付き驚愕。


列車に乗ったアイリス(マーガレット・ロックウッド)が、気を失って気がついてからのまるで疾走する列車のような怒涛の展開。
これを知らずして、あのホテル内のドラマを「退屈だなぁ」と、延々何回も観続けて首を捻っていたのでした・・・。
あぁ。なんと時間のもったいない事を。

しかも、その”退屈だと思っていたホテル内のシーンの数々”が、後であのように繋がってしまうとは。

同じタマゴデブ繋がりでも水野サンのアレとはだいぶ・・・ね(笑)
『シベリア超特急』が、やりたくても足元にも及ばなかったアレコレがこの90分に収められている。
(いや、シベ超はロマンスまで描く余裕は持ち合わせていないか)



ミニチュアで済ませたり、めまいをオーバー・ラップで表現するなど、
いかにも30年代の作品だけれど、逆にモノクロだからこそ引き立つシーンなんかもある。
(列車の窓のアレヤナニなんかはいかにもヒッチコックたし、アイリスが目覚めた時の魔術師ドッポの笑顔の怖い事・・・)



原題『The Lady Vanishes』
邦題は『消えた貴婦人』のままで良かったと思う。



スリープ・ウォーカーズ <1992年:米国>


まずこれがホラー映画としてカテゴライズされている事に驚く(笑)

ハッキリ言って、劇場の大スクリーンで観ても恐怖を感じるどころか、
クスクス笑いを堪えるのに必死になると思われる内容だ。

制作されたのも92年となっているが、まるで80年代半ばのようなユルさ。
こっちも金出して観る気はサラサラ無いほどノーマークだったのだけれど、
テレビつけたらたまたまやっていて、タイトルロールにロン・パールマンの名前を見たので、どんなもんだろう・・・と観た。

主役のブライアン・クラウズもニコニコ笑っている分には、
ホモ受けしそうないいお兄サンなんだけど、1991年のラジー賞新人ノミネートでなんだかアヤシイし、
レネ・ルッソとブルック・シールズが共演してるのか?と思ったら、
まったく別の女優さんだし、そうなってくると別の出演者まで他の有名人に変換しようと脳が働き出して、黒人警官がダニー・グローバーにまで見えてくる始末(笑)


更にB級度を上げる要素として、有名人のカメオ出演のマニアック度があるが、
これが原作(脚本も・・・笑)のスティーブン・キングを始め、クライブ・バーカーの物書きサン、
ジョン・ランディス、ジョー・ダンテ、トビー・フーパーの映画監督などで、
アクターとしてはマーク・ハミルくらいしか出てなくて、
言われなきゃ誰がどこに出てるのか判らないナンだかさなのだ・・・(笑)


オレが目当てのロン・パールマンがいつまでたっても出てこなくて、
もしや主人公親子が変身した姿が彼なのでは?と疑ったりなんかして(笑)
まぁ、出てくるまでにさんざん笑わせて貰ったので、別に出てこなくてもいいかなぁ・・・なんて思ってたら、
出演何分かで出番終わり(爆笑)
それっていわゆるチョイ役?


近親相姦な部分が何を言いたかったのかは『ドリーム・キャッチャー』並みにワケわかんなくて、スティーブン・キングらしいと言えばらしい。


製作者、出演者含めて一番マジメにやってるのは猫タン達だったりする中途半端な怪作。





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